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高砂神社(高砂城跡)

高砂神社(高砂城跡)

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高砂神社は相生の松で有名ですが、相生の松の他にもいぶき(高砂市保存樹)も神木とされており、立葵の紋を持つ山門をくぐるとすぐ見ることができます。
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その奥にあるのは新しく完成した能舞台「神遊殿」です。平成25年9月16日に竣工式を終え、10月19日には、こけら落し公演として第17回高砂観月能が開かれました。舞台近くに行くと檜のよい匂いがします。

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山門から境内に入って左手には「池田輝政公高砂城跡」の石碑が建てられています。

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天正六年(1578)の羽柴秀吉による三木城攻めの際、三木城主別所長治の有力武将であった高砂城主梶原平三郎衛景秀は、世に言われる『三木の干殺し』に対して、最後まで兵糧の供給基地として播磨灘の海上を押さえていました。
そこで、秀吉はこの高砂からの兵糧の道を絶とうと高砂城攻めを開始。一度は見事に打ち破ったものの、秀吉軍の大軍の前にはなす術もなく、あえなく落城の憂き目となりました。
その後、慶長五年(1600)の後に池田輝政が播磨に入り、姫路城を築きましたが、同時に播磨の海の守りを固めるために高砂城も築き、中村主殿助正勝が城主となり、高砂は城下町となりました。
しかし、その城も元和元年(1615)に出された『一国一城令』により破棄されました。

「高砂城跡」を示す石柱(竜山石)
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城の遺構はほとんど残っていない高砂城ですが、石碑の奥、境内の隅には石材が積み上げられており、城壁の形を残すものや、矢穴を持つものも含まれているようです。
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石碑の横には工楽松右衛門の像があります。
工楽松右衛門はそれまでの脆弱な帆布のかわりに播州木綿を使った厚地大幅物の帆布の織り上げに成功し、「松右衛門帆」と呼ばれ全国の帆船に使われるようになり、江戸期後半の海運業に画期的な発展をもたらしました。
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正面に拝殿・本殿があります。

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拝殿・本殿の向かって右手に有名な相生の松があります。
相生の松は、社伝によれば神功皇后が出兵のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎮護のために大己貴命を祀られたのが始まりで、創建まもなく境内に生え出たのがこの相生の松だと伝えられています。相生の松とは、根が一つで雌雄の幹が左右に分かれた松のことで、ある日、尉と姥の二神が現れ「神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げたことから、霊松として人々の信仰を集めるようになりました。
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境内にはまだ少し紅葉が残っていました。奥には鳥居が続いており、榎神社がありました。この辺りは高砂神社の境内の中では少し趣を異にし、雰囲気の違いを楽しむことができます。機会があればぜひ一度ご覧ください。

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そのほか、高砂神社は猿田彦社、秋葉社、天神、琴平神社、弁財天、稲荷社、三社、住吉社など、数多くの社があります。

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冬の神社は空気が澄んで清々しく、また広い境内の一つ一つを見れば意外な発見があるかもしれません。

住所 : 高砂市高砂町東宮町
電話 : 079-442-0160
交通 : 山陽電鉄高砂駅下車 徒歩15分

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